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ザクセンハウゼン強制収容所から考える、自国の加害性との向き合い方 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)

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Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)は、写真や文章、多様な表現を通じて、世界中の人々が対話に希望を見いだせる世界観を伝えていきます。国家・人種・宗教・性別など、あらゆる境界線を乗り越えた平和な世界を目指して。 SNS date2024.4.25 writer佐藤慧 category取材レポート tag#戦争・紛争#ドイツ 2017年9月――ポーランド南部、オフィシエンチムに位置する「アウシュビッツ=ビルケナウ博物館」を訪れた。ナチ・ドイツによって行われたホロコーストの記憶の染み付いた敷地は、世界各国から訪れる多様な訪問客の姿と奇妙なコントラストを描いていた。 同地でガイドとして働く中谷剛さんは、「ここにはヒットラーの写真など、1枚も展示されていませんよね?」と、訪問者に語りかける。こうした歴史の惨禍を特定の個人の責任と矮小化してしまっては、社会の空気の中に、そして個々人の中に潜在的に眠る「差別・偏見の意識」や「優生学的思想」といった“危うさ”を見つめ直すことはできない。 加害の歴史と向き合うこと――それは国や民族、社会などという大きな枠組みに一体感を感じれば感じるほど、自身に刃を向けるような苦しさを伴うものかもしれない。けれど、そこから逃げて自己弁護をし続けているだけでは、同じ轍の上に続く悲劇への暴走を止めることはできないだろう。 そうした加害の歴史との向き合い方は、国や地域によって様々だ。「解放のための戦争だった」「従軍慰安婦など存在しない」「虐殺はなかった」――。そのような言説が、ネット上の一部に留まらず世に溢れ出てくる日本社会は、果たして「繰り返さない責任」を問えているだろうか。 「日本と比べて、“加害の歴史としっかり向き合ってきた”というイメージの強いドイツでも、実はタブーとして触れられなかった結果、ほとんど忘れられてしまった領域があります。例えば、収容所内での強制性労働に関する研究については、証言者の少なさも相まって、社会的認知は低いままです」 そう話すのは、「ザクセンハウゼン追悼博物館」でガイドを務める中村美耶さんだ。ドイツの大学で歴史学を専攻し、自身の研究分野を探している中で、収容所内の強制性労働の実態を知ることになったという。今回の記事では、中村さんにザクセンハウゼンを案内頂いた上で、「加害を見つめること」の意味を、事

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